千鳥の曲

音楽一般

明治時代の海軍軍人、八代六郎は、日露戦争の仁川沖海戦前夜、巡洋艦浅間の艦橋において尺八で「千鳥の曲」を吹いたという逸話が残っている。
 千鳥の曲は、幕末に活躍した吉沢検校(二世)が作曲した、箏と胡弓のための楽曲(地歌)であるが、胡弓奏者が少ないため尺八で代用されることが多いようである。
 千鳥の曲の歌詞には、『古今和歌集』賀の部より採った和歌「しほの山差出の磯にすむ千鳥 君が御代をば八千代とぞ鳴く」と金葉和歌集に載せられた源兼昌の和歌「淡路島 通ふ千鳥の鳴く声に 幾夜寝覚めぬ須磨の関守」が用いられており、百一首にも選ばれた有名な歌である。
 さて、現在の感覚では、戦闘の前に軍艦で艦長が尺八を吹くなどは、随分風流な気がするが、日露戦争時に千鳥の曲は流行歌と言ってもいいくらい新しい曲であったと思う。これが古典本曲で神韻とした響きの曲であればまた印象も違うのであるが、今となってはどのように解釈すればよいのか全く分からない。

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